(「コラム: アキバ系とは 」を読んで)
何をかと言えばまずは表現というものをです。
芸術を意味するアートが技術をも意味するのは伊達ではありません。人間は長い歴史的スケールの時間を掛けた技術的な試行錯誤の果てに現在の2次元表現の技術を獲得してきました。
例えば今時のアキバで流行る2D表現「萌え絵」だって実は技術の塊です。
表現上の流行というものはあるとしても、その基礎は人間が線と色から現実の事物の記憶を再構成して脳内に現実には存在しない美やその他の観念を感じ取るという人の脳が備える情報処理プロセスを利用するということに変わりはありません。
そのように人間の情報処理プロセスの働きを利用すべく製作された女子キャラクターは現実の女性の特徴の影響を受けてはいますが異なる存在です。現実の女性は、現実というものはいつもそうであるように複雑な現象です。対して表現されたキャラクターは女性からその作者が魅力的であると考えた特徴を抽出し、ノイズを減らして作者の意図を表現するために設計され製作された存在です。
そこには技術と自然の違い、目的を持った人間の意図が介在したかどうかという違いがあります。自然は美しいものを生み出すことがありますが、超自然的あるいは宗教的な解釈でもしない限り、そこに意図や目的は認められません。
(もちろん現実の女性にも自己実現という意味で表現としての側面はありますが、描かれたキャラクタではなく生きている人間である以上は意図しない部分としての自然を切り捨ててしまうことはできないでしょう。)
そういった脳内プロセスの存在や、その意図的な利用ということを意識しているかどうかは別にしても、実際問題として作者は何かの観念を意図的に表現するために、どこにどのように線と色、明暗を配置すればよいか、さらにそれらを要素として構成された特徴を2Dに記号化するのか、3D的に描出するのか、そしてそれらの要素的特徴をどう組み合わせ、どう配置すればよいかということを決定する必要があります。それには多くの知識と技術、細かなノウハウが必要です。
3Dのフィギュアだってそうですし、小説、漫画、アニメ、コンピューターのエロゲだって皆そういった過去の技術の蓄積を利用して組み立てられているのです。
このように表現を作り出すことはそれ自身技術です。実際多くのアニヲタ、漫画ヲタ、ゲーヲタ等のヲタが2次創作や創作に手を染めています。つまり商品化や一般への公開には至らないまでも単なる消費者ではないことも多いのです。そしてさらに多くのヲタが実際に製作に至らないまでも少なくとも製作に憧れ(つまり欲求を)を抱いています。
またさらに話を進めればこれらの表現を鑑賞することもまた技術です。なぜなら大まかな印象だけでなく表現の細部に気づき味わい楽しむためにはいくらかの訓練が必要ですし、それを言語化して他人に語るには技術と知識も必要だからです。
表現が人間の脳内情報プロセスを利用するものであるため、あらゆる表現はそれ自身では完結せず、人間に鑑賞してもらう必要があるからです。
これは外国語の知識がなければ外国語の小説を鑑賞することができないとか、読解力が低いと楽しめる小説が少なくなるというのと似ています。クラシックを聞きに行って寝てしまうというのも同じでしょう。実際、例えば非ヲタなヒトビトはしばしばキャラクターを弁別する能力やコマ漫画のコマ割りを追う能力が低いという現象が見られます。
その理系ヲタとなんら変わりはないのです。ただジャンルが違うだけです。
<移転前に頂いていたコメント群>
Re:単純化しすぎではないだろうか?(02/04) MO(名前の長さに制限があるなんて!)さん
iwatam氏のゲストブックから飛んできました。
ちひろさんはなんか誤解しているような気がします。iwatam氏はアニメ・漫画といった文化そのものを否定していませんよ。大きく増大したアキバ系といわれる人達を分析している、と私は解釈しました。(2006/02/09 12:29:39 AM)
○ Re[1]:単純化しすぎではないだろうか?(02/04) 椎路ちひろさん
MO(名前の長さに制限があるなんて!)さん
>iwatam氏のゲストブックから飛んできました。
>
>ちひろさんはなんか誤解しているような気がします。iwatam氏はアニメ・漫画といった文化そのものを否定していませんよ。大きく増大したアキバ系といわれる人達を分析している、と私は解釈しました。
その分析の背景となっている部分に齟齬を感じたのです。まだ実はこの項目書き終えてませんで、まだ書き足りないことがあります。
・理系ヲタの心理がが本当に彼らと違うのかどうか?
・秋葉原から電子部品が消えたのは技術的な進歩の結果で必然ではないか
についてです。(2006/02/10 03:38:58 AM)
○ アキバ系という物言い K-Yさん
iwatam氏は『漢の不在』というコラムの中で、アニメの中でも『漢らしくない』ものはクソだと宣言しています。そもそも萌えとか言ってる連中は嫌いなのです。
そもそも嫌いなのですから、たとえそれがジャンルの違いに過ぎないとしたって、当然『自分の仲間』には入れないでしょう。それだけのことだと思いますよ。(2006/03/09 10:25:02 AM)
何をかと言えばまずは表現というものをです。
芸術を意味するアートが技術をも意味するのは伊達ではありません。人間は長い歴史的スケールの時間を掛けた技術的な試行錯誤の果てに現在の2次元表現の技術を獲得してきました。
例えば今時のアキバで流行る2D表現「萌え絵」だって実は技術の塊です。
表現上の流行というものはあるとしても、その基礎は人間が線と色から現実の事物の記憶を再構成して脳内に現実には存在しない美やその他の観念を感じ取るという人の脳が備える情報処理プロセスを利用するということに変わりはありません。
そのように人間の情報処理プロセスの働きを利用すべく製作された女子キャラクターは現実の女性の特徴の影響を受けてはいますが異なる存在です。現実の女性は、現実というものはいつもそうであるように複雑な現象です。対して表現されたキャラクターは女性からその作者が魅力的であると考えた特徴を抽出し、ノイズを減らして作者の意図を表現するために設計され製作された存在です。
そこには技術と自然の違い、目的を持った人間の意図が介在したかどうかという違いがあります。自然は美しいものを生み出すことがありますが、超自然的あるいは宗教的な解釈でもしない限り、そこに意図や目的は認められません。
(もちろん現実の女性にも自己実現という意味で表現としての側面はありますが、描かれたキャラクタではなく生きている人間である以上は意図しない部分としての自然を切り捨ててしまうことはできないでしょう。)
そういった脳内プロセスの存在や、その意図的な利用ということを意識しているかどうかは別にしても、実際問題として作者は何かの観念を意図的に表現するために、どこにどのように線と色、明暗を配置すればよいか、さらにそれらを要素として構成された特徴を2Dに記号化するのか、3D的に描出するのか、そしてそれらの要素的特徴をどう組み合わせ、どう配置すればよいかということを決定する必要があります。それには多くの知識と技術、細かなノウハウが必要です。
3Dのフィギュアだってそうですし、小説、漫画、アニメ、コンピューターのエロゲだって皆そういった過去の技術の蓄積を利用して組み立てられているのです。
このように表現を作り出すことはそれ自身技術です。実際多くのアニヲタ、漫画ヲタ、ゲーヲタ等のヲタが2次創作や創作に手を染めています。つまり商品化や一般への公開には至らないまでも単なる消費者ではないことも多いのです。そしてさらに多くのヲタが実際に製作に至らないまでも少なくとも製作に憧れ(つまり欲求を)を抱いています。
またさらに話を進めればこれらの表現を鑑賞することもまた技術です。なぜなら大まかな印象だけでなく表現の細部に気づき味わい楽しむためにはいくらかの訓練が必要ですし、それを言語化して他人に語るには技術と知識も必要だからです。
表現が人間の脳内情報プロセスを利用するものであるため、あらゆる表現はそれ自身では完結せず、人間に鑑賞してもらう必要があるからです。
これは外国語の知識がなければ外国語の小説を鑑賞することができないとか、読解力が低いと楽しめる小説が少なくなるというのと似ています。クラシックを聞きに行って寝てしまうというのも同じでしょう。実際、例えば非ヲタなヒトビトはしばしばキャラクターを弁別する能力やコマ漫画のコマ割りを追う能力が低いという現象が見られます。
その理系ヲタとなんら変わりはないのです。ただジャンルが違うだけです。
<移転前に頂いていたコメント群>
Re:単純化しすぎではないだろうか?(02/04) MO(名前の長さに制限があるなんて!)さん
iwatam氏のゲストブックから飛んできました。
ちひろさんはなんか誤解しているような気がします。iwatam氏はアニメ・漫画といった文化そのものを否定していませんよ。大きく増大したアキバ系といわれる人達を分析している、と私は解釈しました。(2006/02/09 12:29:39 AM)
○ Re[1]:単純化しすぎではないだろうか?(02/04) 椎路ちひろさん
MO(名前の長さに制限があるなんて!)さん
>iwatam氏のゲストブックから飛んできました。
>
>ちひろさんはなんか誤解しているような気がします。iwatam氏はアニメ・漫画といった文化そのものを否定していませんよ。大きく増大したアキバ系といわれる人達を分析している、と私は解釈しました。
その分析の背景となっている部分に齟齬を感じたのです。まだ実はこの項目書き終えてませんで、まだ書き足りないことがあります。
・理系ヲタの心理がが本当に彼らと違うのかどうか?
・秋葉原から電子部品が消えたのは技術的な進歩の結果で必然ではないか
についてです。(2006/02/10 03:38:58 AM)
○ アキバ系という物言い K-Yさん
iwatam氏は『漢の不在』というコラムの中で、アニメの中でも『漢らしくない』ものはクソだと宣言しています。そもそも萌えとか言ってる連中は嫌いなのです。
そもそも嫌いなのですから、たとえそれがジャンルの違いに過ぎないとしたって、当然『自分の仲間』には入れないでしょう。それだけのことだと思いますよ。(2006/03/09 10:25:02 AM)
PR
トラックバック
トラックバックURL: