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2026/03/30 20:33 |
2006 年賀状 改め 寒中見舞い(2006 new year greeting)
http://www.nerimadors.or.jp/~chihiro/Drawings/Greetings/NewYear2006.html

遅まきながらようやく作成いたしました。立春過ぎてますが。
皆様旧年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いします。
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2006/02/10 03:26 | Comments(0) | TrackBack() | 個人的な内容
単純化しすぎではないだろうか?
(「コラム: アキバ系とは 」を読んで)

何をかと言えばまずは表現というものをです。

芸術を意味するアートが技術をも意味するのは伊達ではありません。人間は長い歴史的スケールの時間を掛けた技術的な試行錯誤の果てに現在の2次元表現の技術を獲得してきました。
例えば今時のアキバで流行る2D表現「萌え絵」だって実は技術の塊です。
表現上の流行というものはあるとしても、その基礎は人間が線と色から現実の事物の記憶を再構成して脳内に現実には存在しない美やその他の観念を感じ取るという人の脳が備える情報処理プロセスを利用するということに変わりはありません。

そのように人間の情報処理プロセスの働きを利用すべく製作された女子キャラクターは現実の女性の特徴の影響を受けてはいますが異なる存在です。現実の女性は、現実というものはいつもそうであるように複雑な現象です。対して表現されたキャラクターは女性からその作者が魅力的であると考えた特徴を抽出し、ノイズを減らして作者の意図を表現するために設計され製作された存在です。
そこには技術と自然の違い、目的を持った人間の意図が介在したかどうかという違いがあります。自然は美しいものを生み出すことがありますが、超自然的あるいは宗教的な解釈でもしない限り、そこに意図や目的は認められません。
(もちろん現実の女性にも自己実現という意味で表現としての側面はありますが、描かれたキャラクタではなく生きている人間である以上は意図しない部分としての自然を切り捨ててしまうことはできないでしょう。)

そういった脳内プロセスの存在や、その意図的な利用ということを意識しているかどうかは別にしても、実際問題として作者は何かの観念を意図的に表現するために、どこにどのように線と色、明暗を配置すればよいか、さらにそれらを要素として構成された特徴を2Dに記号化するのか、3D的に描出するのか、そしてそれらの要素的特徴をどう組み合わせ、どう配置すればよいかということを決定する必要があります。それには多くの知識と技術、細かなノウハウが必要です。
3Dのフィギュアだってそうですし、小説、漫画、アニメ、コンピューターのエロゲだって皆そういった過去の技術の蓄積を利用して組み立てられているのです。

このように表現を作り出すことはそれ自身技術です。実際多くのアニヲタ、漫画ヲタ、ゲーヲタ等のヲタが2次創作や創作に手を染めています。つまり商品化や一般への公開には至らないまでも単なる消費者ではないことも多いのです。そしてさらに多くのヲタが実際に製作に至らないまでも少なくとも製作に憧れ(つまり欲求を)を抱いています。

またさらに話を進めればこれらの表現を鑑賞することもまた技術です。なぜなら大まかな印象だけでなく表現の細部に気づき味わい楽しむためにはいくらかの訓練が必要ですし、それを言語化して他人に語るには技術と知識も必要だからです。
表現が人間の脳内情報プロセスを利用するものであるため、あらゆる表現はそれ自身では完結せず、人間に鑑賞してもらう必要があるからです。

これは外国語の知識がなければ外国語の小説を鑑賞することができないとか、読解力が低いと楽しめる小説が少なくなるというのと似ています。クラシックを聞きに行って寝てしまうというのも同じでしょう。実際、例えば非ヲタなヒトビトはしばしばキャラクターを弁別する能力やコマ漫画のコマ割りを追う能力が低いという現象が見られます。

その理系ヲタとなんら変わりはないのです。ただジャンルが違うだけです。




<移転前に頂いていたコメント群>

Re:単純化しすぎではないだろうか?(02/04) MO(名前の長さに制限があるなんて!)さん
iwatam氏のゲストブックから飛んできました。

ちひろさんはなんか誤解しているような気がします。iwatam氏はアニメ・漫画といった文化そのものを否定していませんよ。大きく増大したアキバ系といわれる人達を分析している、と私は解釈しました。(2006/02/09 12:29:39 AM)

○ Re[1]:単純化しすぎではないだろうか?(02/04) 椎路ちひろさん
MO(名前の長さに制限があるなんて!)さん
>iwatam氏のゲストブックから飛んできました。

>ちひろさんはなんか誤解しているような気がします。iwatam氏はアニメ・漫画といった文化そのものを否定していませんよ。大きく増大したアキバ系といわれる人達を分析している、と私は解釈しました。

その分析の背景となっている部分に齟齬を感じたのです。まだ実はこの項目書き終えてませんで、まだ書き足りないことがあります。

・理系ヲタの心理がが本当に彼らと違うのかどうか?
・秋葉原から電子部品が消えたのは技術的な進歩の結果で必然ではないか

についてです。(2006/02/10 03:38:58 AM)

○ アキバ系という物言い K-Yさん
iwatam氏は『漢の不在』というコラムの中で、アニメの中でも『漢らしくない』ものはクソだと宣言しています。そもそも萌えとか言ってる連中は嫌いなのです。

そもそも嫌いなのですから、たとえそれがジャンルの違いに過ぎないとしたって、当然『自分の仲間』には入れないでしょう。それだけのことだと思いますよ。(2006/03/09 10:25:02 AM)

2006/02/04 22:06 | Comments(0) | TrackBack() | 空論
ソーシャル・ネットワーキング
mixi、2000足あと♪から)

オープンのメリットは参加・閲覧する際の敷居の低さでしょうか。
書き手の観点で言えばまさにとしみずさんも書かれているように

「一般に公開されているHPと違って、公開先が限定されているmixi上で活動するのは、対象者が限定され=反応も少なくて、労する割にメリットが少ないのでは?」
ということでもあります。

個人的には私自身が表現者としてはネットニュース育ち、オープンソース寄りということもあり、文章を考え方、知識、作品を表現する一種の社会的共有財産と考えるために、特定のグループ向け(内輪向け)という発想が殆どないということもあります。(関心を持つ人が少ないテーマ=不特定少数について書くことはあるけれど、特定少数向けはめったにないわけです。…なもので内輪向けに一般論を語って煙たがられたりもするわけですが。)

確かに生活面ではオープンであるがためのデメリットもあって、私も3匹(推定)ものネット・ストーカー(?)のターゲットになって住所から勤務先、電話番号などをコピー&ペーストされまくったりとプライバシーがかなり侵害されていたりして、たまに疲れる時も確かにあるはあるんですが、といって友人知人ばかりのソーシャル・ネットワークに引っ込んでしまってはやっぱり、社会的共有財産を目指して手間隙かけて考え「開発」した意見を広く普及することはできないのではないかとも思うわけです。

でもまぁこんな使命感が万人に必要当たり前とは言えないとは思うので、ソーシャル・ネットワーキングにも需要はあるんだろうとは思いますが、コミュニティ充実のための規模拡大への要求と規模拡大によるヘンな人の混入というトレードオフを考えると実現は難しいだろうと思うのは前述の通りです。とはいえセキュリティに絶対はなく、いつも問題はトレードオフであるということを思い起こせば、ソーシャル・ネットワーキングにおける紹介+ユニークIDという防壁がそれなりに機能して完全なオープン環境よりはいくらか安寧というあたりに落ち着く可能性は確かにあるかもしれないといえばしれないですねぇ。

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ところで、ユニークIDは信頼性を確保する手段ではあるんですが、人間の興味関心は多岐にわたる可能性があり、ある方面に関心があることを別の方面の人間関係に知られたくないケースが考えられ、ただ一個のIDがついて回ると逆に困るケースあるかというのもあるような気がします。たとえば女装/女装コスプレに関しては世間の目が気なる人が恐らく結構あるでしょう。その場合他の趣味で繋がってる仲間の手前、女装/女装コスのコミュニティに参加しづらいのじゃないかとか。
仮にシステム的に(コミュニティのリストが外から見えないなどの方法が考えられる)守られていても、人的な要因でIDが漏れることがありますしね。このあたりも安寧さ加減とプライバシーのトレードオフなんでしょうねぇ。

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あとは、極めて個人的な指向として日記は苦手でお友達少な目、出不精でイベント参加少なめ・・・つまりあまり社交的でないからソーシャル・ネットワーキングに魅力を感じないのかもしれませんですね。
ただまぁ福岡引越し後の昨今名は仕事関係以外知り合い皆無で週末はゲームか読書と大いにヒキコモリ気味なのはさすがになんとかしたいところではありますが…。

2006/01/31 08:51 | Comments(0) | TrackBack() | 空論
FFXIのゲームシステムの問題点とMMO
問題があると言うだけでなく、考えてみるために多少具体的に書いておこう。

経験値とスキル
ファミコン時代FFシリーズ初期の古典的なコンピュータRPGの経験値システムにツギハギ増築を繰り返したと言った趣のジョブ・システム。経験値という仕組みはは人間の学習を抽象的に表現することから生まれたのだが、そういう人間の学習のシミュレーションという原点となる視点への理解と検討がないままにツギハギに導入され整理されていないジョブチェンジ、スキルなどの人工的な仕組みと不自然な制約。例えば:
「ジョブ・チェンジするとまっさらのLv1ってなんで?」「熟練の戦士もナイトとしちゃ初心者っていうともっともらしいけど、普通まっさらってこたないでしょ?」
「1/2のLv相当の技能を提供するサブ・ジョブって何?」「レベルで制限されるスキルの成長って?(逆ならわからなくもない。なぜなら人の全人的な成長を一個の数値であらわすLvの方が抽象度が高い評価基準だろうから。)」などなど。

戦闘システムと能力値
確かにリアル・タイムではあるけどシミュレーション要素が薄い(武器の攻撃間隔、ダメージ値の設定と計算方法、各種能力値、HPやMPが人間のどんなものをモデル化しているかが非常にイメージしにくい)まま連携、MB、召喚などゲーム的フィーチャーの追加を繰り返したため
戦略・戦術がRPGらしからぬ人工的なものになりやすいバトル・システム…。
そりゃRPGといえどもゲームは人工的なものなので多少人工的な戦略・戦術が入り込むのは仕方ないのだが程度問題として…。

世界とスケール
時間空間などのスケール感覚に整合性がないゲーム世界。ゲーム内での時間経過があるのはいいが、その時間の流れがキャラの挙動とうまく整合しない。例えば徒歩でゲーム内時間1日で踏破できる「広大な大陸」って?
このあたりなまじグラフィックがリアルで時間経過の表現が細かいものだから抽象的な理解で満足しにくいというのもある。

と以上のような具合。

ゲームではゲーム素材が提供しない部分を各人が日常的な経験から補完して、各自のキャラクタがすむ世界の世界観を各自の脳内に作り上げることになる。RPGではこのような部分が特に重要なのだが、
魔法やモンスターなど意図的に導入したフィクションの存在以外の意図しない部分で、あまりに人工的な、日常的な自然・社会法則と極端に乖離したシステムが存在すると矛盾が発生して収まりが悪くなる。

もっとも人間は矛盾を許容し適合するようにできている(部分的な、あるいは誤りを含む情報が与えられてもフリーズしたりせずに生きていけるようになっている。)から、各個人で楽しむオフラインのゲームでは矛盾を受け入れ適応して世界観が作られるためある程度は問題にならない。小説や漫画、アニメ、映画なども同様にして問題にならない。

しかし矛盾点の解決には各人でバラツキがあるため世界観を共有しようとした瞬間にそれが問題となる。特にMMOでは世界観の共有が大規模かつリアルタイムであるためにそれらの不整合はプレイヤー間の人間関係の不整合としてゲーム内で直接的に現れる。
そのためMMOのゲームシステムではゲーム要素の世界観へのマッピングを慎重に行い、矛盾を抑えるためのにシミュレーション的観点からの検討が重要になると考えられる。そして表現しきれない要素は抽象化して切り捨てる必要も出てくる。

……と長くなったのでとりあえずこの辺で。

まぁ、もしかすると徹底してシステム化されないあたりはFFもシステム思考に弱い日本が生んだゲームでありソフトウェアってことなのかも知れない。日本人は輸入文化が多いと言う歴史的事情からかどうも職人的な枝葉末節、ディテールの完成度の高さを高く評価する傾向があるからなー。ディテールはディテールで大事ではあるんだけどもね。

2006/01/10 07:40 | Comments(0) | TrackBack() | ゲーム
FFXI2年目
三連休はFFXIことSQUARE ENIX社のFinal Fantasy XIをやっていた。(初日は寝てたし、日中は買い物にもいったけど。)

私はWindows版サービス開始から約2ヵ月後の2月半ば、大学院生活が成果のないまま終わりに近づいた頃、友人に誘われて始めた。買ってきた直後こそ大学院退学後の先行きの暗さからの逃避もあって1週間ブっ続けの廃人的プレイ(廃プレイ)をしていたのだけれど、しばらくして落ち着き、数ヶ月放置→連休や週末にタマーに廃プレイ→数ヶ月放置を繰り返すペースに落ち着いた。…と今度はちっともLvが上がらなくなってもう2年も経つのに未だに最高Lv41という超マッタリ進行になってしまった。去年の5月からは就職したので多分、今後もマッタリ進行は変わらないだろう。おかげでゲーム内の仲間の集まり(リンクシェル、LSなどと略す)でもすっかり置いていかれてしまっている今日この頃だ。

FFXIはMMOと呼ばれる分野のゲームで数千人単位で一つの世界をリアルタイムで共有して遊ぶオンラインゲームで、ネットーワークと計算機の能力の発達が生み出した新しい分野のゲームだ。
FFXIは絵は綺麗だし設定もシナリオもキャラ造形もよくできてると思うし、サーバなどの通信インフラは(他ゲームで耳にするような「巻き戻し」もないし)割としっかりしていると思う。ただゲームシステムには色々ムリがある。また難易度調整やゲーム内経済バランスも時に開発チーム内でちゃんと整合性のある合意が取れているのかしらんと首をひねりたくなるようなチグハグさも感じる(エラくユーザ・フレンドリな仕様と廃人やハード・コア・ゲーマー以外お断りな仕様が同じレベルで入り混じっているような…。)。

…と色々不満があるにも関わらず続けているのはやはりMMOの魔力というものなのだろう。他のMMOに行かないのはMMOに特有のゲーム内でできる仲間との関係と、後は先に上げたよくできている部分に惹かれているんだろうねぇ。

2006/01/10 07:07 | Comments(0) | TrackBack() | ゲーム

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