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2024/05/19 12:55 |
国際救助隊待望論 - 自衛隊と災害派遣
ある知人のblogで読んだのだが



阪神大震災は12年目を迎えたが、国民を災害から守ることを任務とされているはずの自衛隊が、国による命令を受けて救援に向ったのは、数日を経て後のことであった。日本の場合、自衛隊は軍隊ではないし、国土保安隊として出発し、防災のたねにも働くことを任務としてきた特別な生い立ちがあるのに、である。
(衆議院議員 阿部知子のホームページhttp://www.abetomoko.jp/
(ウェブ魚拓(キャッシュ)http://megalodon.jp/?url=http://www.abetomoko.jp/&date=20070120220233



に関して当時派遣に反対した野党議員たちを思い出して、このコメントに矛盾を感じ、反感を抱く人々が2chで盛り上がっているようだ:
<参考>痛いニュース

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/903452.html


その心情は理解できないわけではない。ないが、ただ私は表面的過ぎやしないかという引っ掛かりを覚えるし、そこまで一方的に悪し様には言えない。当時の野党議員達が何に危機感を持って反対したかもわからないではないからだ。もっともこの意味では、炎上している2chの風とは逆の意味で問題の発言は浅く中途半端だとは思うが…。

何事も物事には図と地があるわけで、当時の野党議員たちの反対という前景「図」には当然その発言を生んだ背景「地」がある。

例えば某都知事発言が非常に分かりやすいけれど災害派遣に関して政治的な意図を絡めた「治安維持」を関連付けたがる右派勢力が無視できない政治勢力と存在していたという背景があった(そして今もある。むしろ勢力を増してさえいるかも。)。そして自民党はそういう勢力を抑え切れてきたとはいえなかった。自民党による自衛隊の運用論に関してはその辺に今ひとつ信用がなく、「機会があれば濫用するんじゃないか」というおそれがぬぐいきれないという「地」がある。

その「地」についてさらに言えば、自衛隊がいっそ専任の災害救助隊であったならそもそも憲法問題にもならず、災害派遣に関する葛藤はもとより海外派遣に関する葛藤も無かったろう。大体が、日本では攻めて来るかもしれない外国軍隊よりも地震、火山、台風など災害が目前の大きな課題なので自衛隊なんぞよりも災害救助隊のほうが明らかに必要であり、実際問題としてアンケートなど取ると自衛隊の任務で国民がもっとも自衛隊をありがたく感じるのは災害派遣だという。であるにも関わらず未だに自衛隊の装備の大部分は災害救助よりは正面武装にばかり割かれている。(阪神淡路大震災の教訓として、大地震には人力だけでは限界があると分かり、多数の重機の必要性が言われ、いくつかの救助用機器も開発されたというのに自衛隊が高価な正面装備を控えてこれらを大量購入装備したというニュースにはお目にかかっていない。)

このように自衛隊が災害救助を最も求められていながら、代々の政権与党が定めてきた装備・予算面から見ると、災害救助を主要な任務と見ていないという現実があり、その一方で災害派遣という飴を治安維持という鞭と抱き合わせたがる右派政治家が未だに発言力を持つ政治状況がある。こういう「地」がある場合に、派遣に逡巡を見せた政治家をそれほど単純に非難できるかといえば、私にはできない。私もその逡巡を共有するからだ。自衛隊が災害救助専任の隊になってくれればこういう逡巡を感じないでもいいのにとつくづく思う。

いっそ「国際救助隊」なんてのはどうだろうか?:-)

ってまぁ、「国際救助隊」は高校時代(かれこれ20年以上前)から思っていたことだが。

先日は防衛庁が防衛省になったが、その一方で消防庁も気象庁も予算と人員を削減されていると聞く。大学に頼ってきた火山の観測網が、高等教育予算削減のあおりを食って維持できなくなるという報道もあった。必要性を合理的に考えれば日本では防衛省よりもむしろ気象庁や消防庁を昇格するなり防災省の方が必要だろうに今の流れはあきらかに逆だ。
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2007/01/21 13:35 | Comments(0) | TrackBack() | 空論
企業問題 ~ 競争力が翳っている原因は本当に法人税?
最近注目してた話題で記事が目に留まったので紹介。

自民税調 法人税下げ見送り
企業優遇批判に配慮

http://www.tokyo-np.co.jp/00/sei/20061206/mng_____sei_____002.shtml


…さすがにな。ただ自民党に献金をしまくってることで名高い経団連などは諦めてるわけではないので今後どうなるか。

現状、談合や不当労働行為で不当な利得を得てる企業が当たり前にいることを思えば、減税を言う前に経済界は自らの襟を正すべきだろう。

「日本版コンプライアンス(社会規範遵守)」とは献金に基づく政治力によって企業が守れる範囲まで法規範や社会規範の方を引きずりおろすことだと皮肉られるような現状を経営者は少しは恥じた方がいいだろう。特に以下の記事でも出てくるように経団連はその要求があまりに露骨で恥も外聞もなさ過ぎる。


[特報]談合根絶の処方せん 
身びいき『官製』招く

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20061120/mng_____tokuho__000.shtml

「例えば、公共工事入札の課徴金(売上額に対する罰金)は今回の独禁法改正で6%から10%に引き上げられたが、15%に上げる案は経団連が恥も外聞もなく反対した。10%では仮に落札率を95%とすると、業者の取り分は予定価格の85%。土木で67-68%、建設で75-83%といわれる損益分岐点をまだ上回っている。つまり、利益は罰金を科せられても出るわけで、痛くもかゆくもない。」

(まぁ、前奥田会長にしてからが、「談合は日本の文化で、なくならない。」という趣旨の発言があったという話もあるようだし…。参考:鋼鉄製橋梁の談合事件 5月27日(金)http://www.election.ne.jp/10375/archives/0000976.html


[特報]日本版ホワイトカラー・イグゼンプション
サービス残業 青天井

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20061206/mng_____tokuho__000.shtml

「経済アナリストの森永卓郎氏は「今でも残業代は四割くらいしか払われていないのに、経団連が(全労働者の約半数の)『年収四百万円以上』としているのは残業代を抑制し、ゼロにする目的がある。これではサービス残業が増えるに決まっている」と批判する。 」

以下個人的な意見。

そもそも今の日本企業の多くに国際競争力が欠けているのは、経営・組織・営業の問題、つまるところは情報の伝達と意思決定のプロセスに問題あるからだ。まず全体に遅く、特に伝統的な上意下達式で風通しが悪く現場の情報が上に上がらず、上は上で強権的だが責任の所在は明確にしない。そんな企業が競争力に欠けるのは当然で、そういう企業が別に珍しくないから競争力が翳るのだ。となればそれは税制のせいとは言えないのではないか?それに昨今話題の企業統治や法令順守、安全の問題も根本は同じであるだろう。

例えば、一時は成功した経営者の見本のようにもてはやされ、ビッグマウスな発言を連発していたにも関わらず、最近裁判で無責任な「知らなかった」、「任せていた」を連発してるホリエモンにしてもそうだが、なにか不祥事があると社長や役員など経営陣が当たり前のように「知らなかった」、「任せていた」と釈明するシーンが見られるが、もしそれが本当ならば、その知らないということ自身が経営上の大きな問題だ。知らない、把握していないということにすれば、確かに当面の刑事責任は回避できるかもしれんが、経営者としてそういう表明は無能の自白に近い。

さらに信じがたいのはそういうあからさまな経営能力に関する無能の自白があってさえも、経営者が経営上の責任を問われることが滅多にないということだ。多くは頭を下げて終わり。まさに茶番劇。昨今では「リストラ」と称して(本来の意味のリストラクチャリングとは全く異なる。)、事業が失敗すれば末端は直接責任がない場合でさえも解雇されたり、よくても配転されたりするのに役員以上ではそういうことはないのが当たり前にまかり通る。これはまさにトップ人事でさえそうだという意味で、全社的に意思決定プロセスがまともに機能していない企業が珍しくないことの端的な例だろう。

そういえば私がかつて在籍していた大手電機メーカーF社の研究所でも、部長就任間もなく部下に向かって「部長は名誉職なので、今後は楽させてもらう。」と真顔で言い切った部長が存在したが、案外とそんな感覚がある社長、会長も少なくはないのかもしれない。もちろん経済的に考えてみればそんなことあるわけがないのであって、よほど事情がない限り名誉職に沢山の給与は払わないし、払えないのが普通だろう。

また企業における意思決定プロセスの不備は別の問題にも繋がる。その一つとして、組織的なマーケティングがなされていないという指摘(「やっぱり変だよ日本の営業―競争力回復への提案」宋 文洲 著 http://item.rakuten.co.jp/book/1433256/ など)がある。組織的な需要の調査もなく、思いつきや技術部門の独走で出来ちゃった商品をゴリ押し(「熱意」などと称される)で押し売りする営業が普通にまかり通っているために商品の企画・展開が魅力的でなく、需要のない無駄な商品あるいは、家電などであれば需要のない無駄な機能が多いという問題だ。

例えば、携帯電話に中途半端なゲーム機能や中途半端なカメラ機能が本当に必要だろうか?それは単なる抱き合わせ販売ではなかろうか?もちろん選択肢の一つとして別にそういう複合商品が存在してもいいが、主力商品というのはどう考えてもおかしい。確かにそれらの機能を使ってる人がいないではないが、周囲を見渡してみても多数派とは到底思えないからだ。それらの「高機能端末」は見かけ上端末価格安いので売れているように見えるが、これは販売奨励金という名目で間接的に電話会社が払っているわけで、それは結局のところ電話代に転嫁される性質のものだ。そしてその場合、中途半端な機能を欲しない人々もその代価を払わされるということでもある。

さらに、そんな非本質的な機能満載の商品があれほど短い期間(なんと数ヶ月!)でモデルチェンジを繰り返しているというのもおかしい。本来需要がないものを過度に頻繁なモデル・チェンジで釣るというのはまさに力づくの営業の典型であろう。そのためにモデル・チェンジが早すぎて使い勝手を改善するためのユーザー・テストをしている時間が取れず、使い勝手が改善できないという、もはや悪い冗談としか思えないような非常に本末転倒な話も私はメーカーの関係者から聞いたことがある。(実際の商品と実際の客でユーザーテストしているという冗談が出るほどだ。)そういえば意識して余計な機能のないものを選んだ筈の私の携帯にも、本来なら整理して一本化すべきである似たようなメールの機能(一方は通常のメール機能でもう一方は古いそのキャリア固有のメール機能)が2つとも搭載されており操作を無駄に煩雑にしている(メールの絵文字ボタンを長く押すと古い方の機能、普通に押すと新しい方の機能が立ち上がる。)。住所録のような機能も半端にはいっているが、私も含めそんな機能はいらないという人も少なくはないだろう。(正直、私は携帯電話のような文字入力コストが高い装置で住所録管理なんてしたくはない。)

加えてそんな無駄機能でも開発にはコストが掛かっているはずなのに、そっちのコストは下請けに出されることで見かけ上隠蔽されている。この隠蔽は問題を見えにくくして戦略的な経営判断を誤らせる元であり、その戦略ミスの尻拭いをさせられる最前線の正当な評価を妨げることにもなる。実際、携帯電話のソフト開発が非常「しんどい」というのはよく言われることだし、求人数が企業規模の割に異常に多い(つまり裏を返せば離職率が高い)携帯電話ソフト開発会社が普通に存在するし、偽装請負など不当労働行為がよく話題になる日本のソフトウェア業界のなかでも携帯電話関連は非常に悲惨な実体がしばしば伝えられる業種でもある。そしてそのような悲惨な労働条件で作られた製品の品質が良くなるはずはないから、いずれは品質面でも消費者の信頼も損ねる結果になろう。

献金で操った政治力による保護と補助金に頼った農政で農業がボロボロ(参入規制で後継者難、補助金のばら撒きや気候風土を無視した作物の官僚主導の選択による生産過剰や不作、高コストと…。大規模開発と借金漬けの農民。)になって結局政治勢力としても没落し、今や自民党に事実上見捨てられつつある(まだかなり保護されているけれど)という事例もある。企業が自らの体質改善を行わず不当な保護や、下請け相手の不当な取引、不当労働行為で目先の利得を得て、それを献金に基づく政治力で追認させて糊塗したとしても、長期的な競争力には結びつかず、いずれ行き詰るということを経営者は肝に銘じたほうがいいだろう。

もっともコケるのは織り込み済みで、コケるまでにガッポリ稼いで退職してトンズラするつもりの詐欺師的な経営者もいるかもしれないが、そんなヤツを経営者に据えて置いても社会的にいいことは一つもないわけで、そういう行動に出ないように社会的にキチンと監視すべきだろう。

2006/12/07 04:38 | Comments(0) | TrackBack() | 空論
「自主憲法制定」という寝言 あるいは国際的ジョーク
「壊れてねぇもの、直すなよ。」というのはマーフィー系の何かの法則にあったんだったか…。保守というのは元来そういうものだと思う。現行制度に不具合がないなら変更にコストを掛けるべきではないってことだし、壊れてる部分をちゃんとわかってから直せ、ってことでもある訳。保守の経済性とでもいうべきものですな。

ま、もっとも最近の報道を見ると自民党は自称「革新政党」なのだそうなのではあるが。でもちゃっかりというかなんというか相変わらず「保守」も名乗ってて選挙では「保守」票と「革新」票を両方とも集めようという詐欺っぽさを感じさせる戦略がなんとも胡散臭い。…とまぁこれは脱線

で、その観点から見れば憲法も教育基本法もどこが「壊れて」いるのかさっぱりわからない。改正論議の前にどこがまずいのかちゃんと調べることが必須だと思うのだが、正直そういう動きはあまりない。特に前文とか憲法9条は具体的な規定などに比べ一番壊れてるかどうかが明らかでなく、一番弄らなくてもよさそうなところなのに…。

で、最近特に笑ってしまうのは現総理が海外で堂々言い放った「自主憲法制定」という台詞。海外でもウケたナイス・ジョークだったんではなかろうか?

「自主憲法制定」論というのは、現行憲法はアメリカ占領下で「押し付けられた」ものだから、自分達で作った法律に変えたいという、あまり合理的とは言いがたい大いに情緒的な、いっそ子供っぽいと言っても過言じゃない幼稚な感情論で、保守の合理性には真っ向から挑むものだ。保守的な観点から言えば誰が作った法律でも内容に壊れているところがないなら直す必要はまったくない。そもそも法律にオリジナリティなどは別に求められてない。それに「押し付けられた」というがちゃんと帝国議会の決議を経て成立してるわけで手続き的には全然「押し付けられた」とはいえない。

でさらに笑えるのは、そうまで言い放って変える部分が9条だの前文の辺りで、例えば集団的自衛権とか入れたいというのだが、その際念頭にあるの「協力先」が結局またアメリカ。戦後間もない頃のアメリカ様が日本に再び戦争をさせないようにと与えたのが平和憲法だから改正したいと言いつつ、改正して合わせたいとする現状は今や先制攻撃ドクトリンを唱えている今のアメリカ様の外交・国防政策への追随であるわけで、一体どの辺に自主性があるのか個一時間問い詰める必要があるんではなかろうか?

そもそも「現状に合わない」というがそれはすべて対米追随の結果だ。さらに言えば日本が対応するハメになった危機を生んだのからしてアメリカだ。大体が、ソ連に対抗させようとアルカイダをせっせと養成したのも、決して民主的とはいいかねるサウジアラビアの王制をせっせと支援して結局それがアルカイダ他イスラム勢力に流れちゃってる状態を続けているのもアメリカ。このテの事例は挙げていったらキリがない。つまるところ今のアメリカは自分で危機を生んで自分で対応に追われるというマヌケな状態にある。それに無批判に追随しようというのだから大変なお人よし、あるいはマヌケといわねばならないだろう。このことを知らないで憲法9条が現在の情勢に合わないとか言うのは無知すぎるし、知ってて口をつぐんだまま改憲を唱えるのはあまりに不正直。

もっとも日本では政治家が不正直なのは美徳「裏も表もわかってる大人物」などと思われてる節もあるけれど。ヤクザや右翼の黙認など「必要悪」という言葉にどうも日本人は弱いようで、それを認めないのは「子供っぽい」ことだとすら思っているヒトが少なからずいる。…とまぁこれはまた脱線か。

対米追随といえば、最近の核関連の報道の中で北朝鮮にまで「日本は米国の州の一つに過ぎないので(アメリカはすでに参加しているから)6カ国協議に(改めて)参加する必要はない。」(()内は筆者が推測して補足)というようなことまで言われてしまっている。正直言えば筆者はこの報道を見てかなりウケた。まぁ若干自嘲的な笑いではあったが。瀬戸際外交続けてるだけあって経験を積んだということなのか金さん判ってるよなぁとでも言うべきか。

実際、かなり疑問のあったイラク戦争までも批判や検証抜きで諸手を挙げて賛成だったりと、日本外交はアメリカの重要な外交政策に殆ど反対したことがないわけで、そりゃこれだけアメリカの愛国心に忠実なら「日本はアメリカの51番目の州」と言われても仕方ないだろう。日本人にもそこらへんは自覚がないこともなくて日本でも「日本はアメリカの51番目の州」説は「日本はまだ占領されてる」説と並んで自嘲的にしばしば語られていることではある。ただこの「日本はアメリカの51番目の州」説には重大な誤りがある。それは、アメリカの州は大統領選挙人やアメリカ議会の議員を選出できるが日本にその権利はないってこと。つまり州以下。その点で占領説の方が実態にいくらか近い(笑)。駐留経費を全部持った上に航空管制の権限や電波使用、基地用地など好き放題要求されて挙句移転にものすごいお金払ったりとか占領されているとするなら納得ですわな。右なヒトが戦前の日本をどう正当化したところで、戦略的に全く勝てる見込みのない戦争をマヌケにもおっぱじめて、見事負けたのは事実なわけだしね(笑)。

そういえば安保理入りを求めた時でもで中国、ロシアが認めたがらないのも実質アメリカ票が一票増えるだけってことを考えれば当然だろう。これまでの対米追随の実績を考えたら中国やロシアが認めると思うほうがオカシイ。認めたってメリットまったくないもの。これがもしアメリカに対してたまには逆らった(せめて言論だけでも)実績がある程度あれば認める可能性は0ではなかったろうけれど。

というこの惨憺たる対米追随の状況で憲法改正と言われてその動機が「自主憲法制定」といわれても、素直には肯定しがたい。そんなことが言えるのはよほど無知なヒトか、よほどの嘘つきだけではなかろうか? あるいは壮大な国際的ジョークか?

嘘つきでも無知でもジョークでもないと仮定して最大限に好意的に見た場合、もしかしたらひょっとして「自主憲法制定」論者の幾人かは:

「現状では憲法のせいで軍事的裏づけがなくて自主的な国防(アメリカが相手でもって意味は当然含む)ができないから未だ『占領』に甘んじていてアメリカに意見できないのだ!」

などと思っていたりするのかもしれない。自主国防論者とでもいいますかね。「普通の国」論者もその仲間なのかな? 確かにそう思ってみれば後先考えずに核武装論とかぶち挙げてしまうヒトの存在にも納得だ。つまり表向きは北朝鮮に対抗するといいながら実はアメリカに対抗したいわけだ。しかし現状ではアメリカが圧倒的だからアメリカには秘密なまま軍備拡張の地盤を整えるというわけだネ(「敵を欺くにはまず味方から」に従って国民にはもちろん秘密だ。)。

とはいえ普通に考えて(国土、人口、資源…)どうせ本格的な軍を持ったって武力で今のアメリカをけん制したり阻止したりはどうせできないと思うわけで全く実際的ではないのだけれどもその辺、自主国防マニヤはどう思うのだろうか。大体、別に軍事的実力を背景に持たなくても反論や批判、検証くらいはできるわけだが、それさえしたことはない。内戦の動乱を尻目に「ペンは剣よりも強し」と説いた思想家を紙幣に刷ってる国なのにねぇ。

2006/11/10 07:55 | Comments(0) | TrackBack() | 空論
共謀罪の件を見るにつけ
『共謀罪』法案 今週審議入りかhttp://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20061022/mng_____tokuho__000.shtml
共謀罪反対署名
http://www.kyoubouzai-hantai.org/


強行採決とかは勘弁して欲しいところなんですがね。「理屈無用、パワーがあるヤツが勝つ」式のアレを見る度、議論がマトモに成り立たない日本国民の平均的な議論のスキルを議員という標本を通じて改めて思い知らされるようで暗然とします。

ホイホイ強行採決が出来ると心配されるのは前回の衆院選で改革のムードに流されてあまり理性的とはいえないように思える投票がなされた結果でもあります。批判に全て「抵抗勢力」とレッテルを貼り、具体的な長所・短所を検討することなく国民が抱く閉塞感へ心情的に訴えるやり方は問題解決に結びつかないので正直それ自身褒められたやり方ではないと思います。が、最大の問題はそれがアッサリ通ったばかりでなく、記録的な大成功してしまったことです。あの選挙の際の批判の少なさもまた日本国民の平均的な議論スキルが低かったことの現われと考えられるわけで、先々を考えると暗い気持ちになりますね。

2006/10/22 12:11 | Comments(0) | TrackBack() | 空論
共生と水虫
お盆休みにコミケに参加してきました(サークルのブースまで来て下さった方々、ありがとうございます。)。その帰り道の新幹線ではコンセントが確保できず溜まった仕事の処理は諦めて読書をしながら東京から福岡まで戻ってきました。

そこで読んでいたのは:

 「共生という生き方」
  T.ウェイクフォード 著、遠藤圭子 訳、
  シュプリンガー・フェアラーク東京 刊
http://item.rakuten.co.jp/book/4030458/

という本でした。その本では共生という生物学的現象について薄い本であるにもかかわらず実に幅広く概説されていました。その内容は概念の歴史から始まって、植物と菌類が相互依存によって同種間のみならず異種間でも緊密に結び付けられているサマ(土中で森林全体を結びつけ部室の交換・移動を司る大規模な菌糸のネットワークの存在)、昆虫やサンゴ虫やある種のウミウシが体内に微生物を飼っているサマ(寄生されているように見えながら実は生育を制御したり助けその相手から栄養や体色を得るなど、あるいは取り込まれる相手や取り込む相手を選んだり…。)、病原菌や寄生と片利や両利の共生の間の連続性(共生における緊張感とでも言うべきか、相互に適応することで共生している生物が一方の体調や栄養状態の変化によって、ある時には相手の病気の原因に早変わりしてしまう)など非情に興味深いものでした。

で、それを読んでいて妄想したことが一つ。

実は私、確定診断以来約20年、白癬菌つまり水虫を足の裏辺りに飼っています。妄想というのは他でもないこの水虫ってヤツが実は普通に思われているような単なる皮膚の病気ではなく実は共生関係が人間の生活の変化によって壊れた例の一つではないかというものです。そう思うようになったキッカケは数年前から昨年今の職場に就職するまでの間夏も冬も年中サンダル履きで過ごした際の経験です。実はこの間、水虫はずっと感染しっ放しであったにも関わらず年に1-2回思い出したように痒くなるだけでそれ以外は気付かない間に治癒しており、殆ど悪さをしませんでした。ただこの間無害ではあるけれど顕著な症状が一つあってそれは足の裏の皮膚の肥厚でした。なんせヒキコモリに近い生活だったので歩いている量そのものはそれ以前(あるいは今)のほうが断然多そうなのに角質層は当時のほうが全然厚く固かった気がするのです。不思議に思って水虫のサイトなどをチラチラ見て回ったところではどうやら皮膚の角質層の肥厚や爪の角質の肥厚は水虫の症状の一つとして認められているようでした。

で、思ったことはこのような足裏の角質層の肥厚は人類が裸足で生活していた頃にはむしろ有利ですらあったのではないかということです。(他にも、人間以外の生物の白癬菌感染の症状は知らないのですが、もしかすると爪の角質層の肥厚などは蹄のある生物の爪の発達にも有利だったりはしないかしらんとか。)また長年私の個人的な疑問としてあった、人間の皮膚には元来殺菌作用があるにも関わらずなぜ水虫は自然治癒が難しいのか、即ちなぜ人間の皮膚は生活環境にありふれている白癬菌を上手く殺菌できないのか、という問題についても、もし人間が白癬菌と有史以前から長らく共生関係にあるならむしろ殺菌できなくて当然ということになりましょう。

実際、上記の本でも病原体と思われた細菌がことによると共生関係かもしれない例として、胃潰瘍の原因とされるヘリコバクター・ピロリという細菌が実は胃酸の抑制に役立っているかもしれないこと、食中毒の原因菌であるサルモネラ菌や大腸菌O-157に反応してそれらに対する毒素を出すことが述べられています。

もし水虫が人類の共生相手だとした場合、日本のような湿気の多い環境では、失礼なんてことを気にせず、合理的な根拠によりサンダル推奨ということになるかもしれず、それはそれでいいかもと思ったりする私なのでした。

2006/08/19 03:25 | Comments(0) | TrackBack() | 空論

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