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2024/04/25 19:27 |
下品な経営 - 隠し撮り編
橋下知事が職員隠し撮り
仕事ぶり点検と
http://kyoto-np.jp/article.php?mid=P2008090600141&genre=C4&area=O10
(京都新聞 2008年9月6日)

コスト面の問題を本気で追及したいなら地道に経理上の記録を追い、記録が不備なら記録をつけて問題点を探せばよい。いずれにせよ作業の性質と作業量からしてトップだけでやるのは難しく問題点を職員と共に協調して見つける必要がある。隠し撮りはセンセーショナルではあっても運営コストの問題は見つけ出せないだろう。いずれにせよ小さな問題を地道に解決し続けられる体制の整備が必要なのであって、盗撮映像の存在をマスコミに流し、利用者拡大の努力していないなどと一方的に文句をつけてセンセーショナルに煽り立てても問題は解決しない。大体何か問題のある状態ならまだしも、通常の本来業務を行っている隠し撮り映像(報道の限りにおいてはそうらしい)に対して本来業務以外の特別な「努力をしていない」なんて言いがかりに等しい。

あるいはマスコミを使って煽れば、知事は仕事をしてますよーというパフォーマンスにはなるだろう。相手を悪者に仕立てて対立を煽れば「働かない役人と戦っている強い知事」のイメージも増すだろう。けど結局、それでは実際の問題が解決しない以上、そんなのは長続きはしない。

もちろん解決する気などなくて赤字埋めの財源作りのスケープゴートに仕立てる目的で当座だけ通用する廃止の言い訳を作るのが目的というなら話は別で、実に合目的な行動といえるかもしれない。その目的自身の是非とは別にしての話ではあるが。

確かに一々細かい運営コスト問題を解決するなんてまだるっこしいことをせずに行政サービスを次々廃止すれば、税金据え置きで支出が減るのだから手っ取り早く赤字は解消するだろうが、当然府民に提供される行政サービスの質は低下する(税金という支払いは据え置きなのに)。

それにしても「隠し撮り」というやり方は多くのヒトが嫌らしいと感じる方法である。「隠し撮り」を肯定し実行するトップの存在は、こっそり監視されているかもしれないという圧力を職場にもたらし、トップの指示の全てが警戒を持って迎えられる事態を招き、勤労意欲を低下させ、組織の風通しを悪くすることは間違いない。

知事は「民間では当然」というが、正直あまり当然ではない。もちろんやらかしちゃったか、あるいはやらかしちゃいたいと思っている経営者も世の中にはいるだろう。が、やったことがばれれば間違いなく経営者に対する信頼は失われる。信頼が失われれば警戒され現場の協力は得にくくなる。

どうもこの知事は世の経営者や政治家の幾人かと同じく、組織トップの思い付きをトップダウンに「やれ!」と命令してとにかくせっせと圧力をかけることが指導力であり、そうすれば物事はうまく運ぶと勘違いしているように思われる。仕事の効率を向上させたいなら現場に自発的な協力をしてもらうことは必須であり、手段を選ばず圧力をかけて強制したり、ましてや敵対心を煽ってもうまくはいかない。なにせ結局実施するのは現場の人間であり、人間は自発的に取り組んでいる時に最もパフォーマンスが良くなる生き物なのだから。

それに圧力に頼った強圧的な方法はイエスマンを作りやすい。イエスマンはトップから見ると協力的に見えるのだが、その実は自分の都合のため機嫌を損ねないようにトップにおもねっているだけであって、組織全体を見れば決して組織が抱える問題の解決にとって協力者ではない。イエスマンに取り囲まれたせいで情報収集が偏り、判断を誤った指導者は歴史上数知れない。

ちなみに作業の効率を向上させるために作業を撮影することはありうる。が、それは別にサボっているかどうかの監視とかではなく正規の作業手順においてヒトの動きの無駄を調べたりするものであるから、普通に予告して行えばよい訳で、隠し撮りする必要は全くない。

「マスゴミ」言いたいだけちゃうんかと


余談その1。

この件で関連記事を検索してて思ったが2chあたりでは「隠し撮り」という表現が気に入らないとする盲目的反マスコミ者がいるが、相手に知らせずに撮影したら、後で公表しようがしなかろうが、目的がどうであれ、実施者が誰であれそれは「隠し撮り」には違いあるまいに…。合理的な指摘ならともかく、何が何でも「マスコミ悪い」に繋げたいのだろうか?

漫画と文学


余談その2。

知事は漫画をさげすんでいるようだが、児童文学館が仮に漫画文学館でも何か問題があるのだろうか?
純文学の文庫本の表紙や挿絵を人気漫画家が描くこのご時世に。

ちなみに同人誌といえば文学分野だった昔には、文学は役に立たぬことばかりやっていると大いに迫害された時代があった。すっかり文学が文化的権威の一つとして確立した今では考えられないかもしれないが、本なんか読んでいる子供は親に叱られた時代もあったのである。
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2008/09/07 01:09 | Comments(0) | TrackBack() | 空論
「こんなの社会のせいじゃない」ってホントか?
「とくダネ!」というTV番組はうっかり見かけてしまうと、いつもコメントの内容が浅くて不愉快になるので極力見ないようにしているのですが、たまたまネットでニュースを見ていたらコレがひっかかったので。

◆ とくダネ!
小倉「こんなの社会のせいじゃない」 八王子2人死傷
http://www.j-cast.com/tv/2008/07/23023918.html
(J-Castテレビウォッチ)

から八王子の通り魔事件に関するコメントで:

小倉は、「こんなの社会のせいじゃない。だって、戦後の苦しい時期にみんなが人を殺したか、って。おかしいよ」

あれ?経済が悪化すると治安が悪化する傾向は一般的で、戦後は治安が著しく悪化した時期だったようなことを読んだ記憶があるのですが?
というわけで「戦後 殺人 件数 推移」で検索してみると:

昭和51年版 犯罪白書 第1編/第2章/第1節/1
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/17/nfm/n_17_2_1_2_1_1.html
(法務省)

やっぱりありました。それによると:

「戦後は,終戦を境として急激な増加を見せ,29年には2,738件にまで達した。この間の9年間に約4倍に増加した」

確かにそのページにあるグラフもそうなっている。「戦後の苦しい時期」は殺人、傷害が激増した時期でもあったのでした。

その後を読むと白書では財産犯とも比較して、経済復興してからも増加した事例を挙げて殺人は経済状況だけが要因ではないと結論付けていたりはしますが、関連そのものは否定していません。

(個人的にはその時点での景気の状況そのものではなくて各人が抱く将来予測に関連しているんじゃないかと思うので景気変動そのものではなく、例えばその一次微分であるとかに関連してそうな予感がするのですが、確認はしていません。)

所詮「とくダネ!」はニュース番組でも討論番組でもなくワイドショー番組。マジメに問題を検討するのが目的ではなく、ニュースをネタに人々が勢い良く放言したり他者を弾劾するのを見せるショー番組なんでしょう。そしてかの番組の中でも小倉氏のコメントのいい加減さはいつものことのように思われるのでそのこと自身を私は今更追及しません。

が、このテの番組での放言を真に受けたかのような発言をする思われるヒトはちょくちょくいて「戦後の苦しい時期にみんなが人を殺したか」的な発言は時々耳にするのですが、ありがとう犯罪白書、スッキリしました。犯罪白書の記録によれば、(敢えて発言をもじって書くと)「戦後の苦しい時期にはみんなが人を殺したよ」といえるわけです。

生育や生活の環境が悪いヒトが犯罪を犯すとは限らないという主張は昔からあるわけですが、ヒトの壊れやすさにはおそらくかなりバラツキがあるわけで、ストレスがなければ一見通常と変わらない生活ができているように見えても、ストレスが掛かると壊れやすいヒトから段々壊れていくということではないかなと私は理解しています。

(そしてこの現象はヒトがあまりに複雑なシステムであるため現代の科学力では、因果関係を細部まで明確にはできず、統計的にしか把握できないのであろうと思います。)

昔、工学部の学生であった頃に教わった品質管理の概論では、世間においてしばしば「画一的な大量生産」の代名詞とされる工業製品にすらそういう統計的なレベルで表れるバラツキ(個性ともいえる?)が存在すると教わったのですが、より複雑なシステムである人間には当然バラツキがあるだろうと思いますからね。

2008/07/24 12:21 | Comments(0) | TrackBack() | 空論
秋葉原の事件の背景に関する情報と労働問題についてのリンク
全然、別のこと検索してたのだけど行き当たったページが中々興味深かったのでご紹介:

2008-06-10 【秋葉原無差別殺傷】人間までカンバン方式
http://d.hatena.ne.jp/boiledema/20080610
(「何かごにょごにょ言ってます」から)

労働環境など今回の事件の容疑者派遣先に関する背景情報に始まってコメント欄では典型的な「甘えてる」、「自分で起業しろ」、「企業を叩いても仕方ない」といった視野の狭い意見(いずれも個人レベルでは一見よい意見であるように見えるが、経済システム全体を見た時など、社会的なレベルでは必ずしも思ったようにならないという意味で)とそれに対するちゃんとした反論があります。

2008/06/17 00:55 | Comments(0) | TrackBack() | 空論
ここ数日大騒ぎの「後期高齢者(長寿)医療制度」
後期高齢者医療制度(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

医療改革法案、委員会の強行採決を経て衆院可決【2006年5月18日】(『ウィキニュース』(ベータ版))

高齢者切り離しといわれても全く反論の余地がない、なにやら悪い冗談のように露骨で、いかにも粗雑な制度だと思ったら案の定、安倍政権が強行採決を連発していた中の一つだったわけですね。一回の会期中に十数件という日本の戦後議会政治史上記録的な数の強行採決に紛れてどんな法案が採決されたのかニュースを追うだけでも大変なくらいでしたから、法案を作った方も内容まで手が回らなかったのでしょうかね。

これもムードにつられて「小泉郵政改革」の2005年衆院選挙で自民党を記録的な大勝させてしまったしまったツケなんでしょうね。当時、根拠のない改革ムードに踊らされて起こりうるこの種の結果も考えずに投票してしまった人で、今回の件はひどいと感じた人は反省したほうがよろしいでしょうね。ひどいと感じられないヒトにはおそらく言うだけムダなのでどうでもいいですが。

というのは結局政治家は問題解決者ではなく単に我々の統計的サンプルとしての代弁者なので、突き詰めて言えば彼らの失政はそういうマヌケな主張をするような彼らを代弁者に選んだ我々に責任があるわけです。

大雑把な言い方をすれば、選挙という票数の合計の多寡で代表を決めるやり方は統計上の演算としては平均に近いものを選ぶ操作と非常に近いものです。そして人間は自分に近い考え方をする人間を高く評価しがちな生き物であるので、選挙で選ばれた議員というのは大雑把に言えば我々の平均といってもいいでしょう。

この考え方によれば、どうせ「どっちもどっち」とシラケて日頃から選挙に行かない人も大いに反省したほうがよろしいとは思います。政治不信なんてのは結局のところ政治家過信の反動でしかないからです。なんとなれば彼らは所詮我々の平均でしかないので我々が思いもつかないような魔法を使って問題を解決できるわけではないのです。彼らができるのは我々が持っているアイディアを持ち寄って集まって交換し、すり合わせて多数決で決めることだけです。そのことが最初から判っていれば、過信もしないで済みます。

なにせ平均というのは「真ん中」なので、選挙の結果として平均的な凡人が選ばれるのはむしろ当たり前なわけです。ということは多くの人にとって政治家が時としてしょーもなく、あるいは「どっちもどっち」に見えるのは当然であり、民主制度というものの最初から仕様だといえます。(余談ですが、これまで何度も殆ど欠かさず投票に行ってきた中で、私が選んだ議員や首長が当選したことは記憶によれば一度もないので、今回の失政に関しても私の寄与はあまりないといえましょう。まぁ、私はあまり平均的な人ではないヘンな人というポジションにいるらしいので当然の結果ともいえます。)

さて、今回の悪趣味な冗談のような制度の原因である強行採決のそのまた原因となった大勝の原因に話を戻せば、あの選挙の眼目であった改革の象徴、郵政改革・民営化ですら始まってみれば郵便局の数が減って、営業時間が短くなって、各種値上がりがあって、とサービスが悪くなった以外に我々が得られたものはありましたかね?

経済政策の失敗からいろいろな指標が悪化してきたせいで先行きに閉塞感がある現在の日本ですが、近所の半島や大陸の国をはじめ世界の国々の情勢を見渡せば、日本の暮らしはまだまだ到底「底」や「最低」であるとは言えますまい。これは言い換えるとある選択肢を選んだ時にそれが今より状況を悪化させる道である可能性が高い、即ち失敗する余地が非常に多いということを意味します。なんでもとにかく変えればよくなるという状況ではないということです。

そういう状況下でのシステムの改良は基本的に微妙なものであり、慎重な検証が必要です。思いつきによってシステムをイキナリ変更する前にまず状況を調べて問題を把握することが重要なのです。そういう活動は動きが鈍く保守的で地味に見えるかもしれませんが、日本が曲がりなりにも一度は経済大国になり、先進国の仲間入りをした今、先進国という手本はもう居ないわけで、地道で回りくどくても慎重に調査・研究を重ねて自力で道を探すことが必要なわけです。

そう思った時、例えばそもそもあの頃、郵政のシステムはそもそも大急ぎで改革しなければならないほどの、そんなに緊急で大きな問題でしたでしょうかね? この種の問いに明確に答えられない、即ち問題について十分な理解ができていないうちは改革なんかしてはいけないんだと思います。が、ムードで流されて通るところが今の政治状況のもっともよろしくないところであるわけです。

で、そういう現状というのは、先ほどのような選挙と政治家の関係を考えてみれば、結局国民の多数派が政治家を単なる代弁者ではなく魔法の問題解決者のように過信していること、そしてその過信が裏切られたことに失望して不信になって選挙に行かなくなることからきているのかなと思うわけです。
即ち、自分で問題解決をする気のない人が多数派であれば、彼らは政治や官僚制度を何でも出てくる魔法のように信じるほかなく、そういう魔法をうまく演出されると(というかそんな魔法は存在しないので演出以外のものではありえないのですが)簡単にそのムードに流されるわけでその結果があの選挙だったのだろうと。で、当然の結果としてそれが演出された幻だとわかると「騙された!もう信じない」と選挙へ行かない人がさらに増えるのだろうかなと。

2008/04/17 00:53 | Comments(0) | TrackBack() | 空論
そのまんま東の徴兵発言
東国原知事が徴兵発言で釈明 今度は「徴農制」http://sankei.jp.msn.com/politics/local/071129/lcl0711292124005-n1.htm

Wikipediaのそのまんま東の項の不祥事の節に書いてあるようなことを覚えている私と同じ年代以上の年齢の人間の中には、若者の規範意識云々の話を「今時の若者だって、オマエさんにだけは言われたくないだろうよ」と思った人が私以外にもいたんじゃないかね。選挙の「禊」を経て知事様になったから昔のことは棚上げなのか、それとも自分が若い頃に好き勝手に暴行や淫行事件を起こして酷かったから他人も強制的に矯正してやらないといけないほど酷い筈だと思うのか…。

(たけし軍団ってひょっとして名前どおりに規律正しい軍のような組織であって「学校教育が補えない中で、心身を鍛錬する場」であり、そのメンバーとして知事様は心身が鍛錬されたとでも?w 万が一仮にそうであったとしても東知事はたけし軍団に志願したわけで別に強制徴募されたわけじゃないよね?)

まぁ、徴兵にせよ、徴農にせよ、相手が若ければ、教育の名の下に一律強制徴募して働かせることに何の疑問も感じない、人権感覚の希薄な人が知事になっちゃったんだってことはよくわかった。

「この国の道徳観の崩壊を心配しての発言と解釈してほしい」とした上で、知事は「例えば徴農制とかで一定期間、農業を体験するとか、介護、医療、災害復興の手伝いなどをある程度強制しないと今後の担い手不足、社会構造の変化に付いていけないと危惧(きぐ)している」(←リンク先の記事から引用した知事発言)

今の現役世代が引き起こした結果を若者(次世代)に強制労働させて「解決」ってどんな無責任な政策だろうか?年齢を理由に十把一絡げに不道徳者扱いされた挙句、裏づけ希薄な思いつきで教育と称して強制労働の義務をホイホイ追加で課されちゃ、若者じゃなくたってたまらんだろうよ。

本質は経済的、政治的であるような問題を「道徳」や「教育」という耳障りが良くて反論しにくい言葉を被せて隠蔽し、反論しにくい立場にある人間へ責任を押し付けてにして責任逃れを図るんて実に悪質なやり口だ。

その昔、「3K」が喧伝されたときもまるで若者の気風や教育のせいのように言う風潮があったが、担い手がないのはその分野の産業に必要な投資がなく、他の職業と比較して十分に労働の対価が払われないからだろうに。市場原理が本当に正しく働いているなら人手不足のジャンルでは支払われる対価が上がるはずだがそうなっていないから人手不足は解消しない。仕事がしんどい上に社会的評価まで低い仕事に自発的に就きたがる人間が沢山居る筈があるだろうか?(労働の対価は重要な社会的評価だ。)リップサービスでキツイ仕事をいくら称えて持ち上げてみたところで労働の対価を低く抑えたままではうそ寒いとしかいえない。何の要因が市場の原則的な働きを阻んでいるのかちゃんと分析してからモノを言って欲しいものだね。本来必要な労働サービスに正当な対価として支払うことができる筈だった投資はどこへ行ってしまったのかという問題だよね?

ま、長期政権で教育委員を入れ替え、教育に介入して自分の意見を押し付けて東京都の教育環境を理不尽なものに変えつつある某東京都知事閣下のような例もあるので知事ともなると独りの妄想といえども影響は中々バカにしたものじゃない。困ったことに「道徳」とか「教育」と言われるとその内容を合理的に検討することもなく無条件で支持に走るような「昨今の社会問題を見るに、今時の若者はなっちょらん!」とか言う層も一定数いるわけだしね。もし妄想がこのまま暴走して妙な政策を始めてしまったら、宮崎県の若者は自分で投票できたわけでもないタレント知事様にいいように引きずり回されることになるわけでお気の毒様としかいいようがないね。

2007/11/30 03:02 | Comments(0) | TrackBack() | 空論

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